ここから始める、未だ見ぬ自分に出逢う旅
はじめに
数あるブランドの中からmaruo vintageを見つけてくださって、本当にありがとうございます。
代表をしておりますhitomiと申します。
コスチュームジュエリーブランド”maruo(マルオ)”は2015年7月にスタートしました。
たった一人でスタートしたブランドですが、さまざまな幸運とご縁にめぐまれ、
たくさんの百貨店様やセレクトショップ様でお取り扱いいただいたり、
2020年には原宿表参道エリアにアトリエショップをオープンし、2022年には、夢だった代官山に移転オープン。
素晴らしいスタッフの方々に恵まれ、今では1つの会社となってここまで続いています。
こんなふうに羅列をすると、さぞ順風満帆な9年だったと思われるかもしれません。
しかしながら、順調とは程遠い、挫折と失敗と苦悩に溢れたこの9年。
自営業になってからというもの、数えきれないほどにカウンセリングを受け、
無知であることを必死に隠すかのように貪るほうに読書をし、
いろんな場所にぶつかりながら、トライアンドエラーを繰り返してきました。
ストレスとプレッシャーでベッドから起き上がれなくなったこともあれば
不安と孤独に押しつぶされそうになり、一人部屋で泣きながら叫んだこともあります。
今振り返れば、
「あの頃私は鬱になっていたんだ」
と気づく期間もあるほど、
とにかくお恥ずかしいほどに不器用な、追い込まれながらの必死の9年。
何度も大怪我しながら、それでもここまで続けてこられているのは、周りの皆様がいるから。
本当に感謝しかありません。
私がブランドをはじめた理由
「私にしかできない、代替不可能な仕事がしたい」
そんなシンプルな想いからスタートした、ブランド運営。
ブランドを始めるにあたって最も大切な、今後ずっと背負っていくことになるブランドの名付け。
いくつかの候補があった中から、わたしは自分の名前をブランド名に選びました。
私の名前をブランド名にすれば、それはきっと私にしかできないことになるだろうという、覚悟を持って。
大卒で、会社員として3年ほど働いていたものの、
性格的にどこかの企業に属して働くということにどうしてもうまく馴染むことができませんでした。
自由のない環境は、
自分の個性が押しつぶされるような感覚があり、
どんどん自分を見失っていくような毎日。
不思議なもので、
自分を見失うと、自信までなくなってくる。
「私という人間は、この場所でとても役立たずだ」
そう思い知ってしまう感覚は、
あるいは人生への意欲をも奪い去ってゆくような、強烈な喪失感がありました。
一度しかない人生。自分のために、人生を自分で選んで生きたい。
でも、どうすればこの現状を変えられるのだろうか。
"フリーランス"という生き方との出逢い
そんな先の見えない現状に、一筋の光が見えたのは、ある人との出会いでした。
ひょんなことをきっかけに出逢ったその人に、
どんなお仕事をしているのかを聞くと「自営業」、との答え。
"世間知らず"をそのまま体現したかのような当時の私は
お恥ずかしながら「自営業」が何かを知りませんでした。
詳しく聞くと、
自分でスマホのアプリを作り、
企業に属さず、
好きな時に好きな場所で好きなだけ働いて、
自分の成果物によって収入を得ている、
いわゆるフリーランスだ、と教えてくれました。
そんなことがありえるだなんて!
興味が溢れ出しました。
会社勤めをしたことがなく、決まった時間に会社に行って、
決められた方法で仕事をしていたわたし。
場所にも時間にも、方法にもとらわれない仕事の仕方。
その方の「フリーランス」という生き方は、自由そのものに見えました。
やりたいことを、
やりたいときに、
やりたいようにやって生きていたその姿は、
当時の私にとって夢物語のようで、
とてつもなく眩しく見えました。
この世に、フリーランスという生き方がある。
その事実は、計り知れないほどの興奮をくれる神様からのプレゼントでした。
私もフリーランスになりたい
私も、フリーランスとして生きていきたい。
そう明確に意思を固め、自らにできそうなことを思いつく限りに行っていきました。
「フリーランスとしてこれからは生きていきます」と公の場で発信し、
あらゆる知り合いの方々に、
「私にできそうなこと、お仕事いただけませんか」と泥臭く、
恥を捨てメッセージを送っていきました。
その中で、さまざまなご縁をいただき、
パーソナルスタイリスト、
アーティストさんのCDジャケット写真やミュージックビデオの衣装制作、
著名なアイドルさんのスタイリング、
バックダンサーさんたちの衣装制作など、
本当にたくさんのことをさせていただきました。
それでも、なかなかこれ一本でフリーランスで生きていける、というものが見つからず焦る日々。
私は、フリーランスで生きていく能力がそもそもないのではないか。
そんなふうに感じて心が折れそうでした。
日々の生活のためにアルバイトを始めたものの、
アルバイトとフリーランスとしてのお仕事、
このどっちつかずの状態では
永遠にフリーランスとして一本で生きていけない・・・
危機感を感じ、毎日焦りを感じていました。
1冊の本との出逢い
そして、この時に1冊の本に出逢います。
それは、少ない元手で、独立して生きていけるようになるための方法を体系立てて教えてくれている本でした。
起業にはたくさんの資金と有効なコネクションがないと到底叶わないと思っていた私に、
「たった1万円でも、起業はできる」と教えてくれた本。
その本の中で推奨されていた通りに、私は素直に、A4サイズ1枚にブランド設立企画書を作成。
自身のブランドをスタートすることを決めました。
1ヶ月にどのくらい作り、原価はいくらで、
どのくらい売ることを目標とするのか。
誰をターゲットとし、どんなデザインをするのか。
夢中になってその企画書を作り、
その内容を尊敬していた自営業の先輩にプレゼン。
「いける!」
そう背中を押してもらったことにさらに拍車がかかり、
退路を断つ意味で、アルバイトを2ヶ月で辞めました。
その時点で全く生活できる金額が稼げていなかったのにも関わらず、
私はフリーランスとしてやっていくんだ、と自分を追い込み再度心に誓い直し、
自身のブランドをスタートしました。
独立後、はじめて軌道に乗る
ブランドスタート直後、
幸運にもあべのハルカス近鉄本店さんでの人生初のPOP UP出店のご縁をいただきました。
オープンは朝10時。
初日、ドキドキしながら朝一番で
百貨店にご来店なさる方々に「おはようございます」とご挨拶をします。
皆さん、
どこかの目的地に向かうようにまっすぐ歩いて行かれる中で、
お一人、ふらりと歩きながらさまざまな方向に目を向け、
ウィンドウショッピングをしているらしきお客様が。
ぼんやりと彼女の姿を目で追っていると、
なんと私のブランドのエリアに近づき足を留めてくださいました。
人生初めての、リアルなお客様。
私のブランドのことを何も知らないお客様は、
私が作ったアクセサリーたちを見て、「可愛い」と手に取り、
耳に当てて鏡を覗き込んでくださっています。
自分の作ったもの、デザインしたものを、
「可愛い」と足を止めてくださる方が世の中に存在すること。
なんだかまるで夢の光景のようで、あまりにも嬉しくて
「目に留めてくださってありがとうございます!本当に嬉しいです!!」
と感謝の気持ちをお伝えしたら、
「まだ買っていないのに見ているだけでこんなに感謝されたのははじめて」
とお客様が笑ってらして、顔が真っ赤になりました。
でも、私が好きだと思って作ったものが、
こうして偶然通りかかり、
手に取ってくださった方にも似合うなんて、奇跡だとしか思えなかったんです。
気づけば鏡を覗き込むお客様に、
今日がブランド初出店で、初日であること、
自分がこのブランドのデザイナーだということ、
あなたが、はじめて目に留めてくださったお客様であること、
そして、とてもとても、そのアクセサリーがお似合いになられているということ。
一気に捲し立てるように伝えていました。
お客様は一瞬びっくりしたようなお顔をなさり、そして、笑顔で一言。
「これ、買わせてください。」
頭が真っ白になりました。
震える手で商品を受け取り、
「ありがとうございます!!」とお礼を言ったら
自分でもびっくりするくらい大きな声が出て、また恥ずかしくなって、
でも、でも、こんなことって、信じられない。買ってくださるだなんて!
お包みに自分でも嫌になるほどに手間取ったのにも関わらず、
お客様は帰り際に「応援してます」と希望のようなお言葉をくださった。
気を抜くと涙が溢れてしまいそうなほどに
きゅっと心臓が締め付けられるような感覚を味わいました。
何度も何度もお礼を言い、お客様の姿が見えなくなるまで、最後の瞬間までお見送りしました。
それまで何をやってもうまくいかなかったことが嘘のように、
1週間のPOP UPでは、本当にたくさんの方がmaruoのアクセサリーを手に取ってくださいました。
「これでいこう」
ブランドのスタイルが見えた瞬間であり、
フリーランスとして、続けられる一つの希望を得た瞬間でした。
これが maruo vintageの最初の一歩目。
とてもわくわくして、もっと見ていただきたくて、もっと喜んでいただきたくて。
寝る間も惜しんで、会期中、毎晩毎晩どんどん作っていったあの時の感覚を覚えています。
セレクトショップさんとの出逢い
手に取ってくださるお客様と直接お会いできる、ということが嬉しくて、
POP UPイベントに特化した販売を継続していきました。
さまざまな百貨店様や駅ビル様で、こつこつと出展を続け、
不器用ながらもブランドの土台を作っていきました。
それと並行して、少しずつ、でも確かに、お客様にご覧いただけるようになってきて、
「ファン」と呼べるような方々が増えてきました。
POP UPイベントを重ね、
イベントの度にご来店くださる方も増えてきて、
着実に進んでいる感覚を得ていくなかで、
maruoに、大きな転換点が訪れます。
それは
ブランドを始めて2年半が経った頃。
大手セレクトショップさんが立て続けに数社、
maruoに目を止めてくださり、
その数社の大手ブランド様で商品のお取り扱いが一気にスタート。
それはmaruoにとって、間違いなく大きな節目の1つでした。
その時はっきりと、そして妙にリアルに、ブランドの風向きが音を立てて変わったことを感じました。
イベントで準備する数百点の商品が、あっという間に完売するようになったんです。
販売イベントをすれば長蛇の列ができるようになり、
POP UPを行っても初日で完売してしまい、
一週間開催が難しくなり、
販売の依頼が絶えず来るようになりました。
そして怒涛の納期に追われるようになり、ちょっとした異常事態に入りました。
しかしながら、売れている理由が自分の実力でないことを明らか。
売れる起爆剤となったのは紛れもなく、大手ブランドさんの力によるもの。
今だから言えるのは、
この頃、売れれば売れるほど
maruoと言うブランドが
私の手からどんどん離れていくような感覚がありました。
ブランドの成長スピードとお客様からの需要に、
本来ブランドを引っ張らないといけないはずの私自身の成長が、
全く追いついていなかったんです。
私はずっと必死になって”maruo”を追いかけていました。
たくさんの方から商品を求めていただける一方で、
自分自身は全く自分の物づくりに満足できていませんでした。
納期に追われ数を合わせることにフォーカスされてしまっていたものづくり。
全くクリエイションできていない状況。
それなのにこんなにも求めてくださる方がいる。
こんなにも私の作ったものを欲してくださる方がいる。
ありがたい気持ちがある反面、素直に喜べない自分がいたことも事実でした。
現実の目の前の仕事をこなすことに必死で新しい挑戦をする余裕もありませんでした。
毎日、毎週、毎月、少しずつ、確実に広がってゆく、私の実力と需要との溝。
この時の日記に思わずこう書き殴ってしまいました。
「もうこれ以上、自分に嘘をつけない」──
限界でした。
感情にまかせて書いてしまった言葉ですが、
それを自分で見た瞬間、胸にナイフが突き刺さったような感覚を覚え、ぽろぽろと涙がこぼれました。
シンプルに自分の納得のいくものづくりを、私のペースでしたかった。
わがままなのかもしれません。
でもmaruoの評価が等身大の自分から離れ、どんどん独り歩きしている状態が、本当に辛かった。
手に取ってくださる方々を、がっかりさせたくない。
でも、このまま走り続けたら、どんどんボロが出てしまいそうで、いつか一気に何かが崩れてしまいそうで、
それが怖くてしょうがなかったんです。
「なんとかしてこの状況を変えないと、私かブランドが壊れてしまう」
頭の中にはずっとこのフレーズがこびりついていました。
この流れの速い場所から一旦身を引き抜く必要がある。
自分自身とブランドをチューニングする必要がある。
これからもブランドを継続していきたいからこそ、必要なプロセスだと思いました。
でも、どうしていいかわかりませんでした。
日本にいながらブランドと自分を変える方法がわからず、悶々とする毎日がすぎてゆきました。
単身パリへ、ブランド休止を決意
そしてある日、いつものように日記をつけていった時に1つの決定事項が文章となって現れました。
「パリに行こう、」
優柔不断な私にとって、断定的な言葉が文章となるのはとても珍しいことです。
その日はいつにも増してペンがどんどん走りました。
この一文を書いたときの確信。
これだ、と一筋の光が見えたようでした。
日本にいるとどうしても同じ働き方をしてしまう。
同じ時間の使い方をしてしまう。
日本から物理的に距離を取ることで、
じっくりとブランドと私自身と向き合ってみる余裕ができるんじゃないかと思ったんです。
行き先がパリだった理由は至ってシンプル。
ただただ世界で1番好きな街だったから。
ずっと勝手に運命を感じていました。
パリが大好きな私。
フランス語を本腰を入れて勉強したいと言う理由ももちろんありました。
でも私にとって1番大きな理由だったのは、
やはり今あるブランドを壊してゼロから作り直したい、ということ。
生まれ変わること。
2018年9月20日。
maruoと、そして何よりも私自身が生まれ変わって作る次のストーリーのために。
ブランドが「絶好調」だと世の中から思われていたタイミングで、
私はブランドにおける全ての行動を止め、
パリへの片道航空券を握り締め、飛行機へ乗り込みました。
パリでの一年
パリ到着と同時に、私はキッパリと無期限のブランド休止を宣言しました。
9ヶ月間みっちりと語学学校に通い、
空いた時間には無数にチェックしていた場所をひたすらに訪れまる日々。
大好きな街に住んでいると言う事実は、
根っからのインドアな私を極端なまでにアクティブにさせてくれました。
パリという芸術のあふれた街に身を沈められる喜び。
長い歴史を経て、今も残る美しいものたちを毎日浴びるように見られる贅沢さ。
自分の価値観や美意識がどんどんとアップデートされていくのが手に取るようにわかります。
それらはとても素晴らしい感覚でした。
しかしそんな興奮もつかの間、すぐに私はパリで見る芸術を楽しめなくなっていってしまいます。
変化を好む私でも、できればそれは 訪れて欲しくない類のなかなかに厄介な変化でした。
ものづくりのレベルを上げたい。
今あるブランドを壊してゼロから作り直したい。
そのためにパリにやってきたはずだったのに、
私はパリでの時間を重ねれば重ねるほど、
自分を見失っていく感覚に襲われました。
日本を離れ、環境を変え、自分のペースで仕事ができれば良い方向に変わる、
そう信じてやみませんでした。
しかし、世界一が集まる場所。
美術館に訪れれば、過去の偉大な巨匠たちのジュエリーが、
貴族のジュエリーが、所狭しと一挙に並んでいる。
圧倒的に完成され尽くした美。
私には、到底作れないものたち。
そんなものを目の当たりにするたびに、
自分の作る物の薄っぺらさと素人感に、
いちいち 落ち込んでしまう日々。
美術館を訪れるほどにわずかにあった自信は喪失し、
パリの街を歩くほどに気持ちは消沈してゆきました。
日本にいたときに失ってしまっていた自信は、パリに来たことでさらに悪化するように、
跡形もなくサラサラとどこかに消えて行ってしまいました。
比べること自体がそもそもおこがもしいのかもしれません。
でもどうしようもなく比べてしまいました。
パリに来ることで状況が悪化してしまうなんて本末転倒にもほどがありますが、
私はますます自信をなくし、生きる希望を見失いかけました。
暗い、光のないトンネルにひとり迷い込んでしまったような孤独感。
ブランドも休止していることで、働くことをしていない私は、
自分が、社会からはみ出してしまって、
自分がここにいる意味をも見失いかけました。
何かを作ろうにも、自信がなくて作れない。
社会に対して、何も生み出せていない苦しさ。
それは、なんだか自分が透明人間になってしまったような、
誰にも気づかれないままに海の中に溺れていくような、
そんな息の詰まるような感覚でした。
自信をくれたお守りとしてのジュエリー
そんなパリの日々の暮らしの中で絶対に手放せなかったのが、
私自身が作ったmaruoのコスチュームジュエリーたちでした。
言葉も自由に操れず、
当たり前のことさえ当たり前にできない苦しい環境で
どんどん自信をなくしていっていた私にとって、
自分のデザインした大きなイヤリングは、
ファッションというよりはむしろ鎧であり、ある種のお守りのような存在でした。
どれほど、このイヤリングたちに、
パリでの生活を助けてきてもらえたか。
このイヤリングをきっかけに、どれほどの会話が広がり、
私自身に興味をもってもらうことに繋がり、なくなりかけていた自信をくれるきっかけになったか。
パリの芸術に圧倒され、
作ることに億劫になっていた一方で、
私はパリでの1年間、
この自分の作ったmaruoのコスチュームジュエリーを
1日も欠かすことなく身につけました。
フランス語もうまく操れないくせに、
イヤリングのストーリーだけは一丁前に語れるように文章を作って、
何度も練習したりして。
それを話した時に広がる相手の表情が、とてもとても、嬉しくて、
ますます手放せなくなりました。
maruoのコスチュームジュエリーが、
消えそうな私の自信の小さな火を消えないように守ってくれていたんです。
作れなくなっていた私を、変えてくれたきっかけ
そんな折、アパルトマンを掃除している最中に、
過去に自分で書いた手紙を偶然見つけました。
「80歳のわたしから、現在のわたしへ」
そこには私がアーティストとして生きていくために必要な心構えと、
これからやりたいことを実現していくためのいくつかの提案とヒントが書かれていました。
いつ書いたのかすら覚えていなかったその手紙。
初めて読むような気持ちで、そこに書かれたどう見ても私の文字を、
私は丁寧に追いかけました。
そしてその中にあった言葉に、ひどく奮い立たされたのです。
自分で書いた言葉にもかかわらず。
「あなたは作ることで力を得る。頭で考えすぎるのをやめなさい。」
私の中で何かが吹っ切れるようでした。
肩の力が抜け、がくん、とソファに崩れ落ちました。
その時に思ったんです。
もう、言い訳をするの、やめよう。
作ろう。
そして、私は再度コスチュームジュエリーを少しずつ作りはじめました。
そして、それらをきちんとお届けする機会を作ろう、と決め、
パリで個展を開催することを決意。
お客様に宣言すると、みなさんがとても喜んでくださり、
パリでの開催予定にもかかわらず、「日本からいきたい!」
とおっしゃってくださる方までいらしたほど。
そんな皆様の暖かいご反応に、心底震えました。
自分の作るものを、まだどんなデザインかもわからない、
そしてどんなイベントかもわからないものを、
楽しみにしてくださっている方がいらっしゃるということ。
世界からはみ出て、社会からはみ出してしまっていた感覚に溺れていた私にとって、
世の中に、私を求めてくださるかたがいらっしゃるという事実は、
言葉にし難い喜びをくれるものでした。
こんなにも恵まれていることを、どうして私は 忘れてしまっていたんだろう。
求めてくださる方々に、私がどれほど支えられているのか。
そんなことを、 痛いほどに再確認させていただいたきっかけでした。
お客様のご反応をきっかけに、私はまるで水を得た魚のように突如体に活力が戻り、
イベントの企画からクラウドファンディングの立ち上げ、
そして肝となるものづくりまで、エネルギッシュに行動することができました。
そして、ハッと気づいたのです。
元来自信のないわたしは、
このmaruoのコスチュームジュエリーと、
そして、maruoを応援してくださる皆様から、
自信の粉をふりかけていただいていたんだ、と。
わたしは、みなさんに、こんなにもエネルギーをいただいている。
その事実を思い知ったときに、自信がないことを言い訳にして作らない、
完璧なものしか認めない、なんて、
もうやめようと思ったのです。
こうして求めてくださっている方々に等身大の私を見せていけばいいんだ。
何か私の求める”完璧さ”を目指して、
それに到達しないと私はものづくりをしてはいけない、
と自分に大きな制限を課してしまっていました。
でも、完璧ではない、未熟なわたしの作品であっても、
こんなにも受け入れてくださる方がいるということ。
途端に 体が軽くなったように感じました。
私は過去にファッションデザイナーを目指し、挫折した過去があります。
圧倒的なファッションセンスなんて持っていない。
生まれ持った突出した才能もなければ天才でもない。
それでも、わたしには、今のわたしが作るものを、求めてくださっている方がいる。
そして、今のわたしがつくるものに、
私自身が一番、自信をもらっているじゃないか。
わたしはそんな本質的なことをこのmaruoのコスチュームジュエリーに、教えてもらいました。
消えてなくなってしまったと思っていた自信は、私の奥に眠っていただけでした。
自信が目覚めるような、そんな体験でした。
誰かにとっての自信になるものづくりを
パリでの単独イベントは大盛況で終えることができ、
一つの愛すべきストーリーを作れました。
それも、ひとえにみなさまがいたから。
パリに来てくださったお客様との時間、そして、
再始動を根気強く待ってくださっていた皆様の存在を知り、
私は清々しい気持ちで、日本で、ブランドを再始動する決意ができました。
きっかり1年。パリで過ごした1年は、愛すべき私の宝物です。
2019年に帰国し、
翌年2020年には
かねてからの夢だった実店舗をオープンすることができました。
自信を取り戻したことで、思い出せた夢。
再び、口にすることができるようになった夢。
まだまだ叶えたい夢があります。
旅は続く
これは、
一人の自信のない女性が、maruo vintageに出会い、
自分の中に隠されていた輝きと力を見つけ出し、
自信を持って自分自身にを始め直す、そんな旅の記録。
もし、今、あなたが人生に迷いを感じたり、
自分に自信がなくなってしまって、ぐらぐらとしているとしたら。
どうか忘れないでください。
あなたは、すでに十分素敵な魅力を持っているということを。
そして、あなたの中に眠っている魅力と自信を、
目覚めさせる魔法をかけてくれる、
maruoのコスチュームジュエリーをぜひ、体感しにきてください。
このジュエリーたちに一番、たくさんの自信をもらってきた私が保証します。
あなたに魔法をかけてくれることを。
ここからはじめましょう。
未だ見ぬ、本当のあなたに出逢う旅へ。